カルチョ2002、創刊10周年記念
またまた本屋に立ち寄ると、「CALCiO2002 創刊10周年記念号」が発売されていました。
そうかぁ、はや10年…感慨深いものがあります。
10年前の1998年、それは中田英寿が、イタリア・セリエAのペルージャに移籍した年だ。
創刊号は、そのNAKATAのイタリアデビューを巻頭に始まっている。
第1節vsユベントス戦で2ゴール。
ここから現代の日本サッカーが始まったと言っても過言ではないでしょう。
日本代表を率いたトルシエ監督も、この年から留任している。
創刊号は、そのNAKATAのイタリアデビューを巻頭に始まっている。
第1節vsユベントス戦で2ゴール。
ここから現代の日本サッカーが始まったと言っても過言ではないでしょう。
日本代表を率いたトルシエ監督も、この年から留任している。
僕はてっきり2002年創刊だと思っていたが、そうでは無かった。
今は亡き、富樫洋一編集長が2002年の日本のサッカーに託した、そしてサッカーファンに託した夢の年であった。
日本にサッカーの楽しみの裾野が広がり、日本のサッカーレベルが確実にあがると予想した年、そう2002年日韓ワールドカップに向けて、サッカーの楽しみを広げる目的の雑誌だったのだ。
当時、サッカー番組はWOWOWが放送し、翌年、先日引退を表明した名波がヴェネツィアに入団。
スカパー!がセリエA放送権を獲得し、一気に海外サッカーファンが広まった。
僕もそのサッカーファンの1人で、ジャンルカ・富樫氏の解説を楽しみに、毎回試合を観戦してました。
富樫氏と同じく、ジャンルカ・ヴィアッリに憧れ、そしてバッジョに憧れ、当時の最強ユベントスの試合に酔いしれていました。
2002年を過ぎた今でも、その名前を引き継いでいるのは、確かに2002年を境に日本のサッカーは、日本を取り巻くサッカーは変わったと思えるからでしょう。富樫氏の先見の目は正しかった。
また、昔集めた冊子を開いて眺めてみました。
あちらこちらで見られる「text by Yoichi TOGASHI」の記事は、ひたすらヨーロッパを駆け巡った様子がびっしりと書き込まれていました。